目を覚ませば其処は見知らぬ場所だった。
言葉を発しようとするが、布状のモノが口の間に挟まれており
声が出せたとしても、声には為らぬ濁った音でしかなかった。
手足も縛られており、自由なのは目と鼻しかなかった。
恐る恐る辺りを見回してみる。
長年使われていなかったのか、矢鱈と黴臭く、少し動いただけでも埃が
舞いそうだ。それに壁紙は至る所剥がれ掛けており、日にも焼けている。
薄汚い絨毯に埃を被ったシャンデリア。天蓋が破れたベッド。
そして大きな窓。
此処は一体何処なんだろう。
どうして僕はこんな所にいるんだろう。
目を瞑り先の事を思い返してみる。
皆と公園で遊んでいた。
友達が蹴ったボールが林に入り、それを取りに行った。
其処に見知らぬおじさんがボールを持って立っていた。
そのボールを渡してもらい、お礼をして、戻ろうとしたら、何かを嗅がされ
その後の記憶がない。
これって誘拐なんじゃ…
背筋が一瞬にして凍りついた。
誘拐の怖さは父親が警察の人間なのでよく解る。
(どうしよう、怖い怖いよ。お母さん、お父さん、粧裕…
誰か、誰か、僕を助けて!!家に帰して!!)
その時部屋の扉が開いた。若しかしたら家族かもしれないと思い
扉の奥を見たが、其処には見知らぬ男が立っていた。
暗がりの中注意深く見て見ると、その男はボールを渡してくれた男だった。
この人が僕を誘拐した人だ。
犯人が目の前にいる恐怖で、自然に体が震えた。
逃げ出したくても逃げ出せない恐怖。
声に為らない声を上げ、必死に威嚇するも、相手は自分へと
近づいてくる。
「んーっ!!んーッ!!」
涙が溢れ、近付いてくる男の顔がぼんやりとしてくる。
しかし恐怖は一向に消えず、体の震えも収まらない。
目の前に男がしゃがむ。自分の顔の位置に男の顔。
発狂しそうだ。
「夜神月くん」
行き成り名前を呼ばれた。
恐怖で体が凍る。
この人どうして僕の名前を?
滲む視界の中必死に男の顔を見る。
その時男がニヤリと笑った。
「ずっとずっと君のような少年が欲しかったんだ」
男の手が顔へと伸びてきて、涙を拭った。
「やっと僕は手に入れた。手に入れたんだ」
男は拭った涙を舌でペロリと舐め、壊れた玩具のようにケタケタと笑い出した。
目の前の恐怖に声も涙も出なかった。
「さぁじっくり君を味わらせてくれ」
そういうと男は僕を抱きかかえ、汚いベッドへと運んだ。
ベッドに降ろされ、埃が少したった。
男はニヤニヤと笑みを浮かべながら、服の上から色んな所を触り
服を脱がしては、至る所を舐めたり弄くったりし始めた。
僕は怖くて、怖くて抵抗も出来ず、唯涙を流すだけだった。
毎夜、毎夜男は僕を弄った。
その時だけ手足の拘束は外されたが、終わると又縄で縛られる。
最初は怖かったが徐々に感情は麻痺していき、何も思わなくなっていった。
男の行為が徐々にエスカレートしていくのを、僕は麻痺した感情で受け入れていた。
ある日男が珍しく昼過ぎにきた。
僕は又体を弄りにきたのかと、冷めた思いで男をみた。
だが、男が何やら手にしているのが見え、考えが変わった。
男が手にしていたのはチェス。
「月くん、さぁこれで遊びなさい」
男は僕の縄と口枷を取ると、目の前にチェス盤を置き、駒を並べだした。
僕はチェスのルールなど知らず、唯その光景を眺めていた。
男が用意し終わると、さぁと僕を急かした。
「僕、チェスのルールなんて知らないから遊べない」
久し振りに出した声は掠れていて、自分の声とは思えなかった。
男は一瞬目を丸くしたが、そうかと小さく笑った。
その笑みには猟奇的なものなど一切なく、初めてこの男のまともな表情を見た気がした。
「じゃ教えるよ」
そういうと駒を手に取り、僕にチェスのルールを細かく教えてくれた。
その時の男の顔はとても穏やかで楽しそうだった。
「僕はチェスの大会で何回か優勝した事があるんだ」
「そうなんだ。凄いね」
何時しか普通の会話もしていた。
その夜男は来なかった。
「月くんは凄いな。飲み込みが早い」
「そんな事ないよ。おじさんが教えるのが上手なんだ」
チェスを挟み、そんな会話をするようになった。
僕は何時しかこの昼の男の顔に好感を持ち始めていた。
二人でチェスをした日の夜男はきづ、昼来なかった時は夜来て、僕の体を求めた。
男が来ない昼。何時しか体の自由を許された僕は一人でチェスの駒で遊んでいた。
チェスは面白いゲームだ。
相手の出方でどう攻め込むか、色々と考えさせられる。
それは人の心に通ずるものがあって、相手の顔色を伺いながら、どう切り出して
いくか、どう守るかと考えるのと一緒だ。
僕はめきめきとチェスの腕前が上がっていった。
ある夜、男が部屋にやってきた。
最近来なかったので、もうこないだろうと思っていた矢先の出来事だった。
僕は男の顔色を伺いながら言葉を発した。
その僕の様子を見て、男は小さな溜息を漏らした。
「君は変わってしまった。君は僕が求めていた姿からかけ離れてしまった」
男の言っている事が解らなく、僕は小首を傾いだ。
「どうしたのおじさん。何を言っているの」
僕が問うても、男は違う、違うと首を振るばかり。
「もうそんな月くんには興味は無い」
男の手が首に伸びてきた。
その時初めて自分が相手の出方を見間違えた事を知った。
「あっ…ぐぅっ」
きつく締められる首。呼吸が出来ない。
「いらない、いらない、いらない、いらない、いらない」
呪文のように繰り返される言葉。
男の血走った目。
それらを振り切るかのように近くに在ったモノで男の手を引掻いた。
「うっ」
締め付けが緩まった瞬間その場から逃げ出した。
「待て!ガキィッ」
整わない呼吸。
縺れる足。
それでも必死に逃げた。
階段を駆け降り、玄関の扉に手をかける。
だが、扉には鍵がかかっており、ビクともしない。
「開いてよ、お願いだから開いて!!」
必死に押したり引いたりを繰り返すが一向に開く気配がない。
後ろから鬼のような形相で男が迫ってくる。
今度捕まったら、本当に殺される。
「開けよ!開けったら!開けよっ!!」
ガンガンと扉を叩く。
その時思い切り後ろから髪を引っ張られた。
「捕まえたぞ」
「ヒッ!!」
ニヤリと不気味に笑う男が、ナイフを翳してきた。
「突入!!」
言葉と一緒に扉が開き、数人の男が屋敷へと突入してきた。
男が一瞬驚いた隙を見はかり、誰かが僕を抱きしめた。
「大丈夫です」
抱きしめた人物が言った。
とても甘い香りがした人。
僕は其処で気を失った。